詩誌『回生』
中村正秋 & 小熊昭広
・・・・・詩誌『回生』の起死回生的詩的行為
「無意味な意味の尾形亀之助読書会」は、今後開催する予定はありません。これまでの開催内容はこちらをご覧下さい。
1985年9月10日から16日に、詩誌『回生』は宮城県立美術館県民ギャラリーにおいて「詩展」を開催しました。私、小熊と中村、そして今は文芸誌『仙台文学』で活躍している笠原さんの三人がそれぞれ勝手に、自分の詩と思う物体を展示した展覧会でした。
そこに置かれていた感想ノートに、こんなことを書いてくれた人がいました。
よくやったね
素直に
なにもにも考えない
大人達も 考えてしまうんだろうね
毎日あくせく働いている人なんて
こういうの みたら
ひまでひまで 気配って
ほうき で はいて かたづけてしまう
ん じゃない
そうもの集めてきたのね
テレビカメラに うつしてみせたら
「ヒ」なるほどと うなってみせる
きょえい心位は 持っていると思う
成功 いやになって かやの中に入って
いやだと ふとんをかぶってしまっても いいね
それが、画家鈴木智さんとの出会いでした。
それから、詩誌『回生』と鈴木智さんとの交流が始まりました。そして1988年3月21日〜26日に銀座の望月画廊で行われ彼女の個展(タイトルを敢えて付けるとすると「ダストポートレート」展になるのだろうと思います。)の案内状に小熊が詩を添えさせて頂きました。その時点で、小熊と鈴木智さんで詩画集を作ろうという構想が出来上がっていたと思います。
そして、その年の第56回独立展で彼女の作品「悩」が入選を果たし、いよいよこれからだというときのその年の11月15日に彼女の突然の訃報が小熊の職場の電話に届いたのでした。
1938 福島県福島市伏拝に生まれる。
1961 東京芸術大学美術学部工芸科漆芸専攻卒業。松田権六先生に師事。
1961~1964 市田株式会社意匠室に勤務。この間、ゆかた、漆パネルなどに
古典を現代に生かした自由な表現をし、デパートの展示会又はグルー
プ展にて発表
1964 イタリア留学し、Perujiaに6ヶ月間、その後Milano市Brera(国立)
美術学校油絵専攻卒業。Prof.Ueelliniに師事。
1965~1967 Breraにて南仏、ドイツ、パリ、スペイン、北欧に旅し、終了
論文「自然信仰とエトルスク文明」を提出。終了制作展に出品。その
後、Sesto st-giovani環境芸術グループに参加。
1967年3月にQUARTIERE DELL BOTTEGHE SALONE DELL ESPOS
IZIONEにて(二人展)
STUDIO M5(MILAND)にて(三人展)
PIAN DELL TIVANO ITALY(招待出品)
COREZIONE DEL DTT.BRAENDRY(二点)
1968 帰国後、屋外デザインを主として活躍
1972 自然の中にロマンと詩情をみつけ1973年頃から再び野の花などをテー
マに製作に専念。
1975 10月東京六本木、麻布ギャラリーにて'75primaveraal AUTUNND
(「'75春より秋へ」)というテーマで個展。
1976 「野の花」個展(東京・フタバ画廊)
以後、女流美術展出品(無所属)、成城学園高等学校講師(非常勤)
美術研究室「あとりえ・だるてそしえだ」創設
1978 「地中海の思い出」個展(東京・フタバ画廊)
1979 「アトリエの家族達」(東京・フタバ画廊)
以後、あとりえ・だるてそしえだ展(1~8回フタバ画廊、9~10
回東京・タカゲン画廊)
1984 「とべない鳥」、「あてのない手紙」個展(東京銀座・望月画廊)
1988 ダストポートレート個展(東京銀座・望月画廊)
第56回独立展入選。11月15日逝去(50歳)(東京銀座・望月画廊)
この頃、漆の技法を取り入れた油絵に取り組んでいた。
1990 遺作展(東京・世田谷美術館区民ギャラリー)(東京銀座・望月画廊)
現 在 福島市伏拝のギャラリー伏拝に作品が展示されている。